小さいころの私。好き勝手にピアノを弾いて遊んでいると、母が飛んできて怒りました。
いたずら弾きをしちゃいけません!お指の形が崩れます!って。
そこでお指の形を整えて、自分で作った曲を弾きだすと、今度は、隣の部屋から母親が怒鳴ります。
いたずら弾きをしちゃいけません!リズムが乱れます!って。
指の形を整えて、正確なリズムでいたずら弾きをしたって、当然、面白くありませんよね・・・
だって、いたずらじゃなくなってしまうもの。
ジェットコースターのようなものすごいスピードでエリーゼのためにを弾くから面白いのであって、
ベートーヴェンの運命のジャジャジャ、ジャーンを踊りながら、全調で移調しながら弾くから楽しいのであって・・・
ピアノは、いつも私の傍にいて、何をしても受け入れてくれる大型犬のような存在だったらよかったのに、と今では思います。
ダメ、といわれた後の練習は、ふてくされて嫌々するので、
さらに怒られるという負のスパイラルに・・・
親子で地獄でした。
でも、練習をきちんとした後に許される、自由な時間もありました。
NHKの「みんなの歌」の弾き語り。
あれは、楽しかったなあ〜
妹と声を合わせて歌って、時には母も加わり、
「アイスクリームの歌」や「雪の降る町を」を歌ったけ。
今でも楽譜がありありと思い浮かべられるほどです。
実は、遊びながらとはいえ、音楽力をすごくアップできたと思います。
初見力、表現力、弾き語り力アップにつながったのですから、いたずら弾きを禁止しては、もったいない、もったいない。
コンクールの審査をしていると、「上手なのにつまらない」演奏に出会うことがあります。
また、リズムに合わせて一生懸命体をゆらしたり、音楽を感じているフリをしている演奏に出会うこともあります。
そんな子供達をみると、かつての自分をみているようで心が重くなります。
「フリをする」
その影響力は大きく、今でもピアノを弾こうとすると何かに成り代わる、フリをしようとする私がいます。
フリをしていると安心するのです。
演奏で本心を出す事に自信がもてず、無意識に怖いのかもしれません。
演奏することは、表現の場なのに、自分を出せないなんて、寂しすぎます。
小さな種とつぼみコンクールを立ち上げたのは、
従順な演奏ではなく、ピュアで100%の今の自分の演奏でもOKなんだ!と、
審査の先生から認めてもらい、褒められる体験をして欲しかったから。
それは、子供達だけでなく、指導した先生方や日々支えてくださっているお母さん達にも子供が褒められることを受け止めて欲しかったのです。
また、「褒めるだけじゃ物足りない」と決めつけず、
「褒めてもられること』」をきちんと受け止める人になって欲しかったからです。
今日、横浜の小さな種とつぼみコンクール、HANAMIZUKI芸術フェスティバルが終わりました。
全国で小さな花を咲かせるお手伝いをしています。
HANAMIZUKI芸術フェスティバルでは、上手下手ではなく、審査員全員の『感動』を基準に全国大会に進出が決まります。
皆さんも、ぜひ、受けてみてください。
子供たちに上手になってもらいたい・・・という先生や親の願いが、
本当の意味でのサポートになっているかどうか、もう1度ご一緒に振り返ってみませんか?