エゴの箱に入り込んでしまった時のトレーニングを積んでいますが、
小さな痛みを手放す事ができたので、今日は、ここに書きたいと思います。
私は、あゆかさんのブログを愛読しています。
一番新しい日記に「正しさよ、さようなら」とありますが、
実は、前回の日記「記憶を塗り替えて、楽になる♪」に対する84にも及ぶコメントがあり、
いつの間にかそれは「正しさ」を求めるものへと変化していったのでした。
私は、このことを海を越えて客観的に見ていて、
ふと10年前の北鎌倉のお寺でのコンサートのことを思い出しました。
古傷がうずきました。
その傷は、EFTなどで癒してきたのですが、
思い出すとやっぱり息が苦しくなります。
その日は、夫と楽しみにしていたコンサート。
間に合うように急いで駆けつけ、席にすわりました。
お寺の本堂で行われる室内楽のコンサート。
普段と違う会場で、ワクワクします。
ところが、小さな男の子の兄弟が会場でふざけながら席を移動しだし、
演奏中にもコソコソと続きました。
私は、全く音楽に集中できないばかりか、
関係者や親は、なぜ注意しないんだろう!
いったいどういう教育してんの?
何、あの子達〜〜〜!
と怒りがたまっていったのです。
そして、休憩時間になったとたん、自由になった兄弟は、座っている人をかき分け、鬼ごっこを始めました。
なんてこと・・・!
私は彼らを睨みつけ、ちょうど私の前に来たので、つかまえようとしました。
お兄ちゃんのほうには逃げられてしまったのですが、
3歳ぐらいの弟を捕まえて「君たち、いけないッ!」と叱りました。
そのとたん、私も怯むほど大声で泣き出した弟。
親の方へ泣きじゃくりながら戻っていきました。
後半の演奏は、心がざわざわして楽しむことができませんでした。
何にざわざわしていたかというと、あの子たちの父親が、ずっと私たちを睨み続けていたのです。
演奏後、父親は凄い顔をして私たちのところにやってきました。
「子どもが怖がっているのがわからないのか!」と突然、怒りをぶつけてきたのです。
「私は演奏を楽しみに来たのです。せめて後半は静かにして欲しかったので注意したんです」
「でも、泣いているじゃないか!」
押し問答になり、
あまりにも怒っている父親に対して、
夫も私の弁護にはいり、
なんと相手の父親はファイティングポーズを取り出しました。
今度は男同士の言いあいに・・・
私は夫のそんな姿を見たことがなかったので、申し訳なさでと怒りがさらに膨らみました。
一端仲裁にはいったお坊さんもあきれてその場を去っていきました。
結果、子ども達の母親が謝って、その場は納まりました。
しばらくの間、私の中には、「正しい事をして何が悪い」「誰もやらなかったから、私が言ったのに・・あ〜あ、言わなきゃよかった」という思いが何度も沸き起こり、鈍く残りました。
10年も経ったのだから、すっかり忘れてもいいはずなのに、この記事を読んで思い出したのです。
また、ざわざわをしました。
でも、今回は自分の心の力を使って、解決することができました。
それは、『私は正しくなかったかもしれない』という事に気づくことが出来たのです。
正確に言えば、あの事件の後の心の取り扱い方に「もっと、良い方法があった」ということです。
そうなんです。
私は、10年間も相手や周りを責め、夫にも迷惑をかけてしまった自分を責めて来ました。
でも、あの時、彼らにもっと優しくしてあげることも出来たはず。
あの時は、怒りをあらわにする父親に「お子さんを怖がらせてしまってごめんなさい」と口では言いましたが、
腹の中では怒りでいっぱいでした。
もし、あの時、私に私に愛があれば、心から謝り、
「親って、大変ですよね〜」
と笑いながら言えることもできたはずです。
ああ、私には愛がなかったなあ・・・
そう、愛がなかったんです。
それに気がついた瞬間に、
10年間の鈍い思いがすべて消えてなくなりました。
今は、心から癒されています。
気づかせてくれたのは、あゆかさん。
ブログのコメントを書き込んだ方。
本当にありがとう!と言いたいです。