大学を卒業して入ったヤマハ音楽教室。
そこでは、人間的に素晴らしい先生方や実力を持った仲間に巡り合えました。
中でも田村元子先生は、永遠に私にとっての憧れの先輩です。
時間を忘れて指導の話で盛り上がった事や常に新しい事を求めて輝いていた私たち。
今思い出してもキラキラしたヤマハ時代を思い出します。
私たちは、若かったけれど、とても責任の重い仕事をさせて頂き、常にチャレンジの毎日でした。
そんな中で生まれたのが竹島悟史君でもあったわけです。
私は、その後東京へ引っ越したり、海外転勤でヤマハを離れてしまったけれど、田村先生は勤続25年。専門コースとその卒業生のクラスを受け持ち、グレード5級の試験官や海外の専門コースの先生方の指導などご活躍されています。
前山仁美さんの小学生時代を指導したのも田村先生です。
同士でもある私たち、ひさびさに温泉に入り、マッサージも頼み、ゆっくりとワインを飲みながら語らいました。
話す事は、やっぱり指導の話と生徒のその後。。。
あんなにハードな仕事をしても楽しかったのはなぜだろう?
それはきっと、お互いに認め合えて、応援しあえる関係だったからでしょう。
ライバルといった関係でなく、刺激をもらえる関係でした。
どちらかの生徒が素晴らしい結果を出しても、ジェラシーとかいじけた気持ちは微塵もなかったので、沸き起こるマイナスの感情を抑えたり、自己嫌悪を持つ事もありませんでした。
きっとそこには、バックに控える「責任は私が持つから、思いっきりやってごらん」といったオーナーの内山先生の懐の深さがあったからでしょう。
だからこそ遠慮せずに、また恐れを知らずに邁進できたのかもしえません。
今や、若い先生やお母様方を応援する立場になっている私たち。
あのときの事を思い出して、生徒が思いっきり羽を伸ばして好きなところへ飛べるように支えてあげたいと思いながら、晴れ晴れとした気持ちで胸いっぱい秋の夜の風を吸い込みました。