今頃になって気づけたことがありました。
コーチングのセッションでは、大切な人に承認されない苦しさ、愛する人を承認できず、つい、傷つけるような言葉を発してしまうといったテーマでお話しすることがあります。
私も承認の少ない環境で育ってきました。
「やったよ!」「出来たよ!」と持っていっても、あれこれ選んだプレゼントをしても、喜んでもらえたと感じることが少なかったです。
特に、大好きな人に限って、承認してもらえないことが多く、悲しかったです。
喜んでいるのかもしれません・・?
口下手なのかも?
不器用なの?
でも、思いをシェアしてもらえなければ、寂しい思いをします。
その寂しさは、あきらめに変わって行き、本音でつきあうのが怖くなってしまいます。
例えばこんなことがありました。
「今度5月に日本の唱歌が22曲も入った本が出るの。素子さんの素敵なアレンジで、CDもついているし、ママでも弾けるレベルよ! プレゼントするね」
「あ。ママ、日本の歌をピアノで弾くって、嫌いだから」
(言わなきゃ、よかった)
まあ、本当のことを言っただけのことなんでしょうけれど。
そう!と笑顔で言ってくれただけで、どれほど嬉しいでしょう。
コーチングでタイプや強みを学んで、自分と違うコミュニケーションの傾向があることを知ってからは、頭では理解できるようになり、ニーズを満たすための、つまり相手に喜ばせるための空回りした行動は、ぐっと減りました。
このことは、私にとって大きな問題でした。
思えば、問題を解決したいという思いがコーチングの勉強へと走らせたのかもしれません。
そして、昨日!
気づいたのです。
私は、今までずっと、本当にラッキーなことに、いつも素晴らしい環境で学ぶチャンスに恵まれてきました。
母が一生懸命ピアノの先生を探し、やっと出会えた江崎光世先生。
クビになりそうなほど、出来の悪かった私でした。
あのプライドの高い母が先生におすがりして、なんとかつなぎ止めて、レッスンしていただけていたのです。
私は、それを先生から言われるたびに、やるせない気持ちになりました。
でも、今だからわかるけれど、それは、母の情熱。娘を思う気持ちでした。
そんな、私を誠心誠意、ご指導してくださった江崎先生は、忍耐強く責任感のあるプロ中のプロです。
そして、職場では、ひよっこの私にあらゆるチャンスと試練を下さった上司、内山節子先生。
どんなに頑張っても先生の要求に答えることは、出来ませんでした。
絶望的な気持ちを切り替えて、レッスンへ向かう事は、若い私にとって大変難しいことでした。
先生方から見て、「出来の悪い」「ひよっこの」私を認めることは難しいことですよね。
そこに気づかず、ずっと認めてもらいたいともがいてきました。
また、認めてもらうことに囚われていました。
でも、よ〜く考えてみたら、いまだに私は、先生や母から見たら危なっかしい存在なのだと思います。
ふと、認めて欲しい・・という気持ちを手放してみたら、ふ〜っと軽くなったんです。
そしたら、その替わりに見えてきたことがありました。
母も先生方も「こんな私を手塩にかけて育ててくれた」という事実。
決して、手を抜かず、厳しい愛と使命を持って育てて下さった。
プロとして責任を持って育ててくださった。
それは真実です。
その精神が、私の中に宿っていることに・・・
実は、昨日のセッションのことです。
あるクライアントさんに言われた「自分に厳しいですね」という一言が呼び水となりました。
常に厳しく一生懸命私を育ててくれた母や先生方の魂が、私の中に育っていたことに気づいたのです。
・・・言葉を失いました。
そして、改めて、進化したい・・と思いました。
私にとっての進化は、受け継がれた「手塩にかけて育てる」精神を軸に、多くの人を「承認できる人」となること。
「承認できる人」になるための学びとして出会った新たな師が、まさに重鎮コーチです。
私は、重鎮コーチからの愛にあふれた承認の数々を受け取って、自分を愛することができるようになりました。
そんな思いやりのある暖かい承認の中で、赤ちゃんのように安心して成長できる自分を感じ、幸せでした。
今、幸せになった私は、どうなったかというと?
周りの人も幸せにしたい・・という気持ちが芽生え、育ち,溢れてきています。
今までの「自分がしてもらえなかったから、人にしてあげる」といった反面教師的承認を卒業して、自然に感じて、思って、行動出来る自分になったような気がしています。
私が承認されて幸せになったように、周りの人も幸せな愛で包んであげたいのです。
そして、この承認の魂を私の中に宿して、生きていきたいと思います。
師との出会いで、人はいくつになっても進化することが出来るんですね!
私、48歳です。あはは。
素晴らしいなあ〜人生って!