昨夜は、何層もの綺麗な色に囲まれた不思議なお月さまを見ました。
姿を出したり、雲に隠れたりするお月さまを楽しみながら向かったのは、カーネギーホール。
今夜は、ここでたった一晩限りの辻井君のリサイタルがあるのです。
辻井君との出会いは、2000年に私のピアノの先生と企画した、才能ある日本の子供達のピアニスト為のコンサートでした。
私とイレーナ先生は、膨大なDVDの中から彼らを選び、さらにイレーナ先生は日本に飛んで、オ‐ディションをしてメンバーを決定したのでした。
その中でも、音の美しさが際立っていたのが辻井君。
まだ小学生だった彼は、とても明るく無邪気な人柄。
でも、彼は恐ろしいほどの集中力と自己確信を持っていました。
リハーサルの時に、少し崩れてしまい、関係者が心配して時も、
お母様は笑いながら、きっぱりとおっしゃったのです。
「あの子は大丈夫なんです。周りが心配しても、僕は出来るから。それがわかっているんだって言うんですよ」
演奏はまさに彼が言った通りになりました。
アルバムからはがせなくって、ちょっと見にくいけれど、その時の写真。
カーネギーの小さいほうのリサイタルホール。
リーズ国際で優勝した憧れのピアニストのイリア・イ‐ティンの横で。
あれから11年後に、カーネギーの大ホールでリサイタルを開くなんて、だれが想像したでしょう・・・
こちらは、私には忘れられない写真。
スタインウエイホールでのコンサート後です。
大きなクリスマスツリーを見ながら、辻井君の演奏、シベリウスの「樅の木」を聴きました。
音が冷たい冬の空気のように透き通り、すっくりと立った樅の木がどこまでもどこまでも伸びて行く姿が見えたのです。
その演奏は時空を超えて私たちの心に届きました。
あまリにも美しい音とその映像に私は我を忘れて聴き入りました。
そこには、音楽に心を奪われ、静かに涙する人。
言葉なく、うつむく人達がいました。
カーネギーホールの前には報道陣やテレビ局の人たちが並び、会場はほぼ満員。
音楽ビジネスとキャリア、その頂上に立った彼は、今最も注目され、期待されているピアニストです。
今夜はここで、たった一人で弾くのです。
プログラムは、超難曲の現代曲からスタートしました。
どのようにこの曲を覚えたのか、どのように理解していたのか、私には想像もつかないほどの難しさを
彼は、手のひらで転がすように弾き切ったのでした。
カメラの回る広い舞台で、たった一人ピアノに向かう姿を見て、どれほど孤独な作業を積み重ねてきたのか・・と思うだけで胸が詰まってきました。
そして、ベートーヴエンのテンペスト。
リストのため息とリゴレット・パラフレーズ。
休憩をはさんで、ムソルグスキーの展覧会の絵。
本当に見事な完璧な演奏でした。
リサイタルは大成功です。
クリームパンのようにふっくらとした手は、しなやかで強靭な手に変わっていました。
ああ、プロの演奏だ。
・・というか、プロになっちゃったんだ。
やや型にはまったお辞儀や遊びをそぎ落としたような演奏を聴いていて、少し息苦しくなってしまったのは、私だけでしょうか?
修行のように音楽に向かって完成した演奏を驚きを持って聴かせてもらうのもいいけれど、
私はもっと気持ちがつながりたかった。
感性が喜びたがっていました。
もっと気楽にリラックスして、彼と一緒に音楽に身を委ねることを期待していたのかもしれません。
でも、どのようにアンテナを伸ばしても、彼の心とつながるのは難しかったのです。
きっといつかは、あの時の樅の木を超える演奏をしてほしい。
私にとって永遠の樅の木は、心の中に大切に取っておくから。
ブラボーの嵐をもっと浴びていたいかのように、少し心残りそうに会場に顔を向けて帰って行く最後の姿が、印象的でした。