ママ。早く行こうよ! お利口にして待っているけれど、くんくん鼻を鳴らしたり、
山羊のように爪をカタカタ言わせたり。子供と一緒で可愛い。
カウンセリングのコースでの2週間で、私の脳みそはかつてないほど頑張ってくれた。
コーチングでは未来をビジュアライズすることが多いのだけど、
今回は過去に戻って、ネガティブな感情とシーンを思い出し、それを解放したり、書き換えたり!
小学生の私。
同じクラスに貧しい子供がいました。
お風呂に入れないのか、いつも同じ服を着ていているので臭いのです。
その子は、悲しい顔をしていました。
声を出すこともなく、勉強もできません。
なぜか、隣の席になることが多かった私は、息を止めて臭さを我慢しながら毎日を過ごしていました。
臭いと言ったら、彼女を傷つけてしまう。
そんなことを思っている人と知られたくない。
私が言ったところで、何も変わらないじゃないか。
そんな私の苦痛を分かってくれる人なんていないだろう・・と思っていました。
もしかしたら、母に漏らしたかもしれない。
でも、怒られたか、受け止めてもらえなかったように記憶しています。
学校で過ごす一日は長く、私は良い子の振りをすることに疲れて行きました。
そして、先生の言うように仲良くできない自分に罪悪感を感じつつ、
どのようにしたら、仲良くなれるのかがわからなくて、イライラしていました。
当時の私としては、仲間はずれにせず、差しさわりなく接するのが精いっぱい。
ところがある日、急に自分の持っているものを自慢したい気持ちになりました。
「これ、いいでしょ」
意外なことに、その子は、私に言い返してきたのです。
「私だって持ってる」
空耳かと思うほど、小さな声でした。
その後、少し、言い合いになったような気がします。
結局「うそつき!」と言った私は、プンと横を向いたような記憶があります。
ウソをついたあの子が悪いんだ・・・と私は自分が正しいような気持ちになってその瞬間はスカッとしましたが、
その後、街でその子を見かけるたびに胸がチクッとしていました。
昭和の時代はまだまだ貧しく、可哀そうな子がいたものです。
先生も、どうすることも出来なかったのだと思います。
私は、その時に感じた「可哀そうで弱い子をいじめたという罪悪感」に30年以上蓋をしてきました。
今回、小学校時代にいじめた女の子への罪悪感を思い出して解放してみました。
そしたら、不思議なことにあの時気づかなかったことを気づいたのです。
それは、「あの時あの子は、しっかり言い返して、優等生の私をビビらせたじゃないか。もしかしたら、私以上に強い子かもしれない」ということ。
全身脱力して、ほっとしました。
新入生の頃の悲しい記憶。
以前にもブログに書いたかもしれません。
今回はその気持ちも解放してみました。
雨上がりの校庭です。
花壇に雨にぬれた見事なグラジオラスの花が一輪落ちているのを見つけました。
花の好きな担任の先生を喜ばせようと、花を拾った私は意気揚々と先生に差し出しました。
病弱で大人しい私にしては、とても勇気ある行動だったと思います。
「ありがとう」溢れるような先生の笑顔。
ところが、「取ったんだよ〜悪いんだ。悪いんだ」という男の子のはやし立てる声を聞いた先生は、急に厳しい顔つきになりました。
私は上級生のクラスに謝りに行かされることになったのです。
まあ、よくある誤解です。
でも、こちらも32年蓋をしていた辛い感情。
解放して、新しい記憶に書き換えました。
「ごめんなさい。先生が間違っていたね」と、バツの悪そうな笑顔で笑う先生に変換。
そして、無事解放〜
というわけで、2週間毎日そんなことをやっていました。
そして、寝ている間にも夢に小石のような解決できなかった想い出がザクザク出て来て、私を休ませてくれない。
それを次々に解放し続けたので、へとへとになっているわけです。
睡眠不足はまだまだ続いています。